楽しさを振り返る

楽しさを振り返る

2023.08.21

息子とふたりきりで過ごした日の夜は、妻にその日の出来事を報告する。

ご飯はこんな感じだったよ〜歯磨き嫌がったよ〜お風呂ではこうだったよ〜と、色々話す。だが、なんの気無しに喋るとつい「大変だったこと」ばかりを話してしまう。楽しかったことも沢山あったのに。

大変だったエピソードを話して妻に労ってもらいたい!そんな気持ちがないと言えば嘘になるが、そういうことではなくて、、、話している途中で「はて、なんでこんなネガティブな話ばっかりしてるんだ?いかんいかん」と自分で思い直すのだから、半ば自動的にネガティブなことを話してしまっているのだと思う。

乱暴に推察するならば、人はネガティブなことの方が語りやすいのではなかろうか。

本当に美味しいものを食べたとき「うっま…」しか言葉が出てこない。では心底まずいものを食べたときはどうだろう。「なんか油っこいし、後味もなんか、、、なにこれ。」どうも「まっず…」で済ますことはあまりない気がするのだ。違和感はどうにも解像度が高くなりやすくて(人の生存に関わるから?)、嬉しいことはもっと漠然と、なんか嬉しいなー!となる。良かったことを的確に描写するのはとても難しい。息子と一日過ごして楽しかったことをあげればキリがない。キリがなさすぎて、たくさんあったはずなのに、パッと言葉にできない。

プロジェクトの振り返り会でも、丁寧に意識しない限り「あれが出来なかった!こうしたら良かった!という反省点」もしくは「ふんわり漠然とした良かった点」に終始してしまいやすい。特に、学生たちの振り返りコメントでは、そんなに失敗な会だったっけ?と心配になるほど、反省点が山積みになることも少なくない。

振り返りの会で、ひとり忘れられない学生がいる。

彼はどうにも適当な男で、約束をすると1/3回くらいしか守ってくれない。けれど頭の回転が早く、ユーモアがあって、いてくれると会が楽しくなる、調子のいい、憎めないやつだ。そんな彼が振り返り会の時にこう言った。

「出来なかったことを反省するのも大事だけど、出来たことが自分の実力になっていくと思うから、出来たことも自分は大事にしたい」

お前が言うか!と、誰もが喉まで出かけたけれど、本当にその通りだと思った。できなかったことは次回も出来るかは分からない。けれど、出来たことはきっと次もできる。未来の自分の足場になるのは、放っておくとぼんやりと過ぎ去ってしまう「当たり前に楽しくできたこと」なのだ。だからこそ、普通に楽しく出来たことの解像度を高めていきたい。

今日、歯磨きが大嫌いで、いつも怒り狂いながら歯磨きを拒否する息子が「うえのは〜まえば〜おくば〜したのは〜しゅわしゅわー」と歌いながら上手に痛くないようにティラノサウルスの歯磨きをしていた。いつものママの真似が本当に上手で、2人でしばらく歯磨きごっこを楽しんだ。