普遍性と個別性

普遍性と個別性

2023.07.11

非常勤講師として大学で授業を受け持つようになって4年目。今年も週一回、60人の生徒さんたちと毎週顔を合わせています。

東京都市大学の都市生活学部という、建物やインフラのハード面からコミュニティや地域をつなぐソフト面まで、人の営み全般について学ぶ学部で、僕が教えているのは「グラフィックデザイン」。一年生の必修授業です。

必修なので、デザインに興味がある子もいれば、いない子もいる。パソコンの操作で精一杯の子もいれば、教えていない機能をバンバン使える子もいる。そんな環境で僕は「あれ?自分ってこういうところちょっと人と違うかも。ここは譲れないかも。」そんな、自分自身の特性に気づいてもらえたらいいなぁと思って授業をしています。

3年やってみて僕なりにわかったのは、自分に気づくにはどうも「自由に好きなようにやらせる!」のではダメで、「制約の中で違和感を通して学ぶ!」方がよさそうということ。(教育者の方からすると、とっても初歩的かもしれない)こうしてください!というある種の抑圧があってはじめて「え?なんで?こっちの方がいいじゃん!」という意思がたちあらわれてくる。

ただ、ちょうど良い抑圧というのが難しい。ただただ押し込むような抑圧でもなく、うまくやる!とか条件を満たす!といった目的に駆り立てるものでもなくて、、、心を込めるに足る理由のようなもの。「こっちの方がいいじゃん」という意思や心を引き出すに足る、生徒さん一人一人にあった良いプレッシャーを用意したい。

なんてことを考えていると、今度はこっちが頭でっかちになってしまって、先生がただフラフラしているだけの授業になってしまう、、、

この話をドイツから帰ってきていた友人の阿部くんにしたら、とある記事を教えてくれた。札幌で開講されていたアートスクール、まほうのえふでの代表である堀田真作さんの文章だ。

きみのめでみたことや
きみのあたまでかんがえたことを
きみのてでかいたりつくったりしなさい
http://www.mahounoefude.com/archives/1300.html

面白いもので、こころをこめて作っているかどうかは先生からすると一目瞭然だ。なんとかひとりでも多くの生徒さんが、作るプロセスで自分のこころに触れてもらえるように、先生も心を込めて授業をしていたい。